普及型を作っている人へ

普及させるには簡単な文法が必要でしょう。 暗号型ではないので、わざと普及型で難しく作る人はいません。 簡単な文法の言語は私も作ったことがあります。確かに簡単でした。 だけど簡単といっても語学を覚えるのは労力がいるので、 ご存知のとおり簡単ならそれだけで良いというほど単純でもありません。

普及とは地球の全人類という意味ではありません。国際補助語としての普及でしょう。 ザメンホフも、ホマラニスモ宣言の5番で、「あらゆる人間は個人生活では好きな言葉を話し、好きな宗教を 信じる完全かつ明白な権利を有すると認める」といっています。

では対象が全人類でないなら誰に学ばせるか。国際的な活躍をする知的階層か多言語社会の人々でしょう。 ここからは前者について述べます。 国際語は汎用性があり、各国語への翻訳の必要性がない。これは便利です。

たとえば日本人が英語で書かなくてもよくなるので、英語話者にアドバンテージをとられなくなる。 でもそのためには英語話者が国際語を学んでくれないといけない。 だけど英語話者に国際語を学ぶ利点はないのです。今のままで居心地が良いので。 言い方は悪いですが、金持ち、力持ちの言語が勝つんです。私たちの言語は介入できません。

現状、人工言語に興味を持ってくれるのは知的階層でしょう。 しかも実益ではなく趣味として学ぶ人でしょう。集まる人数は少数だと思います。

結局少人数しか集まらないなら普及型である意味はありません。 そこで、言語そのものは放棄せずに、言語の存在理由を再考することをお勧めします。 つまり、人工言語に何の意味があるのかと考えてみて、自分の言語の意義を再考してみるということです。 国際語を目指すのではなく、何か他に有意義な使い道はないのか。 そういうことを考えられてはいかがでしょうか。