新語の補充と普及

新語の補充と普及について。 結論を先に言いますと、これに関しては人工言語は面白いくらい自然言語と同じです。 私も人工言語を作った当初はこの点でかなり気張りました。 なにせ人工言語は計画言語ですから、作った後の行方まできちんと計画しなければと……。 ですが案ずるより産むが易しといいますか、できてみるとこれが意外と自然言語のように振舞うものなのです。

まず、新語の補充ですが、これは造語法をきちんと作っておけば問題ないです。 作者だけしか理解できないシステムでなく、話者なら自然と造語できるようなシステムです。 具体例をいうと、エスペラントなどはこのシステムを持っています。 また、そのシステムの具体的な内容ですが、語根を中心とした派生語か複合語を利用するのが 一番理解しやすいです。要するに日本語や中国語やドイツ語の類であって、 英語のように高級語はラテン語やギリシャ語から取るというのは理解されづらいです。

次に普及について。 まず、人工言語と自然言語の違いは特定の作者が意図的に作るか、 ある民族によって慣習的に作られるかの違いです。

ならば作者が普及させると考えるのが妥当です。 しかし実際は作者以外も人工言語を使用します。 最低限普及には作者とその相手を含んだ2人が必要ですから。 2人のうちはまだいいですが、話者数がどんどん増えると様々な考えを持った人間が出てきます。

さて、そこで今日新しい機械が開発されたとしましょう。当然これに名前が必要です。 この場合、恐らく機械の開発者が名付け、周りはそれにならうでしょう。 ところがその利用者は利用者の立場で考え、別の名前で呼ぶかもしれません。 そうなったら名前同士の間で競合が起こり、しばらく混乱を経た結果、 より速やかに定着した語が暗黙のうちに採用されます。 実際、新語の一部はこのように競合を起こします。

たとえば日本語でも「メールアドレス」の略語はメアドなのかメルアドなのかいまだ競合中です。 また、競合終了していても地域によって競合結果が異なることもあります。 たとえばマクドナルドは関東ではマックですが、関西ではマクドで、 関東と関西の間の県の局所では両者の競合が行われました。 が、局所ごとに異なる競合結果を産みました。ある地域ではマックに落ち着き、 別のところではマクドに落ち着くといったように。

このように、造語は常に競合の可能性を孕みますが、このことは人工言語でも全く同じです。 話者数が少ないうちはいいのですが、エスペラントなどはかなりこうした競合が起きています。 エスペランティストの中でも、学術用語のような高級語を造語するときはラテン語起源にすると難しくなるので、 ドイツ語のごとく合成語を多用し、エスペラントの基本語を組み合わせようという動きがあります。 ところが基本語を組み合わせると自ずと語形が長くなり、使用の際に煩雑になるという欠点があり、 反対者が存在します。そしてここに競合の可能性が生まれます。

と、このように、人工言語も自然言語も大きくなればなるほど競合が増え、新語の普及が難しくなります。 そこで必要となるのが言語を管理するシステムです。人工言語の場合は作者が管理するのが多いでしょうね。 私も自言語を管理しています。ですが勝手な用法を作られたりして困るときがあります。 勝手に作れるというのは裏を返せば強力な造語法があるということですが、 その武器は諸刃の剣で、強力な造語法であるがゆえに収集がつかず、普及が困難になることがあります。

人工言語は作っている間は自分の裁量で全てが決まります。 でも運用の段階になれば自然言語と変わりありません。 一語一語のほころびがやがては人工言語内に方言を生みます。 イスラム教がシーアとスンナに分かれ、キリスト教がカトリックとプロテスタントに分かれ……というのと同じです。 何事も大きくなればなるほど管理は難しくなります。それは人工言語、自然言語を問いません。 以上から、新語の普及に関しては、少人数の管理できる範囲内でなら可能と考えられます。

ただ、言語は生き物と良く言われるように、恐らく必要以上の管理はしないほうが良いと思います。 その言語の根幹を覆すようなことでなければ――たとえばエスペラントでいうならaで終わる名詞を作るような ことをしなければ、それは許される範囲だと思います。 なお、逆に管理された言語を好む方もいるでしょう。